楽しミすと®︎生き方④

小さな欲をに気づいていると気持ち良い。

スープとパンをたべようかな。

でも、コップ大きいし、パングラタンにしよっ。

あ、ホーレン草もたべたい。

とろけるチーズは多め。

ごちそうさまでした。

楽しミすと®︎ 生き方③

落ち込んだときのレベルにもよりますが、無理に元気になろうとするとかえって疲れることがある。

落ち込んだ気持ちを消そうとするから。
落ち込んだ気持ちを素直に感じながら、下げ下げに浸ってから上げ上げにすると意外とスッキリする。
自分だけの下げ下げ、上げ上げの時に効く曲を用意するのもアリかも。
ちなみにわたしはこれ。
下げ下げ
上げ上げ

楽しミすと®︎ 生き方②

好きこそものの上手なりという言葉がある。

すごく納得(ᵔᴥᵔ)
でも、下手こそものの上手なりというのもあるあるだなと感じる。
最初の目標、肺活量アップでそれなりになってきたのに、、、、。
下手だから臆することなく、楽しめる。
そろそろ上手くなってもいいんだけどな(笑)

AI(人口知能)

最近、AI(人口知能)という言葉をよく聞く。

毎日と言っても過言じゃないくらい。
関心する反面、どこまで人間を超えるのかと思うと喜んでいられないこともある。
なにかを作り出すことにワクワクするわたしにとっては、悪くはない。
That’s always interesting.
(それってホントおもしろい。)
この略語をAIと言うのもアリかも^ ^
今日は、些細なことでもいいから小さな発見できるといいな。
そんな積み重ねが、「それってホントおもしろい」に繋がるから。

究極のパワー

楽しミすとが生まれたのは車椅子になってから。

荒波でも何でも、衝撃を受けつつ今までのわたしを失いたくないと思って、行動力だけは変えずにいた。
ありのままの波に乗って流れて、できることできないことを試していた。
いまはそんな生活に慣れてきた。なれてくると突っ走ってきた疲労を受け取り、心の声を聞きながら、次の手を考える。
でまた、うまくいてったりいかなかったり。
ある人と、雑談をしてた時、変化を起こしたり、新しいことをする必要がないからしないという会話をした。
そっか、する必要があるきっかけが原動力になるって貴重だなって感じた。
衝撃も資源となる。
経験が、次の形になる。
そして、渦中にいるときはどん底でも、
過去になると糧になる。
時間は味方だと感じた瞬間♪

心と心の反応

何か問題や課題に遭遇すると、私を含め大抵の人は解決のために向き合う。

しかし、たまに違うことが起こる。

先日の音楽ライブで私の心のくす玉が開くという斬新な感覚を体験した。

なぜ、くす玉か?

それは、誰かが紐を引っ張るか、何か飛んでこない限り、くす玉は自分では開かないものだから。

当日のライブ中に、superflyから想いのつまったソフトな球が飛んできた。

そして、心のくす玉が開いた。

前のブログでも少し書きましたが、トーク・映像の中で、共感したり、受け取ったり、融合したり、

形にしたいことが浮かんだりした。

問題課題そのものにアプローチもせずに、不意に心が反応することが、解決のきっかけになることがある。

意図的に遭遇することはできない。

物理的、客観的な根拠もない。

しかし、なぜ動物がいくつもの感覚を備えているかというと「生きるために必要な感覚」だからだと思う。

「見えるもの見えないも全身を使って使いこなす」

少しワクワクしませんか?

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かんかくの、、、いばしょ

だんだんと、頭の真ん中で、楽しミすとサービスが浮かんでる。

自分の中でサービスのイメージはあるものの何かが足りないと思っていた。
気のせいと言い聞かせても、
どこかに何かが足りない。。
それでも形にできるものからつくってきた。
なんか、いま繋がってきた。
今、私の感覚を失いたくないので書き残している。
でも本当は失う失わないではなくて、
今の忘れたくない感覚が居心地よい場をからだの中に作ってあげればいい。。。
例えるならば、
転がったり、伸びたり、大の字でねたりできる居心地のいい場所。
目を閉じて、
何が見えて、
どこにいて、
どんな温度で
色は、
感触は、
ひとつ、ひとつ丁寧に感じたら、
体の中が癒しスポット。

仕事だから、、、

社会人1年目、会社員として働くことは、会社の看板を背負うことと学んだ。

 

会社の看板。勤務する企業人として恥ずかしくない行動をとるということ。

 

部分的にバカ真面目で、社会人なりたての私は看板の義務にやたら苦しめられていた。

 

個人の時間は素の自分で良い。さらに言うなら緩くても油断をしてもOK。

 

人と関わるのが好きでありながら、少し人見知りでもプライベートであれば縮こまらないのに、

 

仕事となると急に看板のプレッシャーで硬くなる。

 

それを少し緩和させてくれたのが2社目の会社。

 

小さなベンチャー企業だったので創業期はマニュアルもなく自由だった。

 

何より社長が全く堅苦しさがないのに起業していることが衝撃だった。

 

いいか悪いかは別として、自由すぎるやり方もあると知った。

 

自由でも軸はあった。衝突しても人材紹介会社として生きた想いはあった。

 

看板ではなく、求職者と企業のマッチングという結果に注力していた。

 

今でも自分が身を置く場所によって、大きな組織の社員として働くと無意識に萎縮している。

 

同時に私の中にある軸を見失わずに、私の軸を生かしていくことを今は考えている。

 

看板に自分を乗っ取られず生きていけるのは軸があるから。

 

そして自分の軸を喜ばせる時を感じることができるようになる。

 

まずは軸を感じる静かな時間を味わってみるのも良いかも( ´ ▽ ` )ノ